アウトプットの重要性

アウトプットの重要性。

ネットで検索すると何百とヒットしそうなタイトルだ。

最近それがとても気になる。

 

これまで、主に本や雑誌などから意識的にインプットを重ねてきた。いわゆる読書家と呼ばれるような人達から比べるとその量は少ないかもしれない。ただそれでも、少なくとも周りにいる同僚や友人に比べると圧倒的に蓄えている情報量は多いと感じる。

 

問題は、それらを的確なタイミングで使いこなせていないということだ。アウトプットができていない。何となく知っている、感覚的に分かると思っていてもいざ説明したり会話に織り交ぜようとしてもできない。言葉として表出される前の段階で留まってしまう。

 

結局、知識を得たつもりが、実は情報を体に取り込んだだけで終わっていることが大半なのだ。情報を取り込むこと自体は悪くない。大量の情報を、ドロドロとした形のない状態で体にとどめておき、必要な時にそれらを形にして使えるようにしておく。ある程度まとまったの量の素材がなければ形にはできない。大事なのは、形にする≒言葉にする≒アウトプットを常日頃行って下処理を行っておかないと、いざという場面で使えないということだ。器が必要な場面で、土を捏ねるところから始めるわけにはいかない。乾燥させて焼く時間だっている。

 

 

何のためにアウトプットをするか。

それは、得た情報が知識として自分の血肉となること自体に喜びを感じるから。仕事に役に立つといったことよりももっと前の次元で、純粋に自分が楽しめることをしていく。その瞬間自体を楽しむ。習慣にすべきとかは考えなくていい。やりたいときにする。

 

 

そんなことを考えながらアウトプットを行うための仕組みを模索している。