アウトプットの重要性

アウトプットの重要性。

ネットで検索すると何百とヒットしそうなタイトルだ。

最近それがとても気になる。

 

これまで、主に本や雑誌などから意識的にインプットを重ねてきた。いわゆる読書家と呼ばれるような人達から比べるとその量は少ないかもしれない。ただそれでも、少なくとも周りにいる同僚や友人に比べると圧倒的に蓄えている情報量は多いと感じる。

 

問題は、それらを的確なタイミングで使いこなせていないということだ。アウトプットができていない。何となく知っている、感覚的に分かると思っていてもいざ説明したり会話に織り交ぜようとしてもできない。言葉として表出される前の段階で留まってしまう。

 

結局、知識を得たつもりが、実は情報を体に取り込んだだけで終わっていることが大半なのだ。情報を取り込むこと自体は悪くない。大量の情報を、ドロドロとした形のない状態で体にとどめておき、必要な時にそれらを形にして使えるようにしておく。ある程度まとまったの量の素材がなければ形にはできない。大事なのは、形にする≒言葉にする≒アウトプットを常日頃行って下処理を行っておかないと、いざという場面で使えないということだ。器が必要な場面で、土を捏ねるところから始めるわけにはいかない。乾燥させて焼く時間だっている。

 

 

何のためにアウトプットをするか。

それは、得た情報が知識として自分の血肉となること自体に喜びを感じるから。仕事に役に立つといったことよりももっと前の次元で、純粋に自分が楽しめることをしていく。その瞬間自体を楽しむ。習慣にすべきとかは考えなくていい。やりたいときにする。

 

 

そんなことを考えながらアウトプットを行うための仕組みを模索している。

 

旦過市場

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暑くなってきた。

 

今日は西小倉のInitioでランチ。自分が注文したフレッシュトマトのアラビアータスパゲティ、妻が注文したゴルゴンゾーラのリゾット、どちらも美味しかった。

またお気に入りの店が一つ増えた。

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帰りに食材の買い出しで旦過市場へ。

魚屋で今が旬のイサキを購入。氷床の上で今にも動き出しそうだった。

一匹¥700で二匹頼んだら、¥1200にまけてくれた。それから鮭のアラ¥200も¥100にまけてくれた。

魚好きなら煮付けよねとか、今はこれがおいしいよとか、そういう人と人との交流があった。

価格だけで云うとスーパーより3割増し位高い。でも満足。

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夕食のメインはイサキの煮付け。

脂がのってて美味。

 

 

 

必然性の中で生まれる形

住宅の設計に関わり始めて7年。自分の目指す住まいの方向性を再確認したい。

 

自分が理想とするのは、必然性の中で自然発生的に出来上がるカタチ。

敷地の環境、クライアントの意向、構造的な制約、といった様々な条件の中で住まいは生まれる。答えは初めからそこにある。設計とは、諸条件を整理して形を取り出すことにほかならない。そこに設計者の恣意性はいらない。ただ読み取る力が必要なだけ。その読み取る力こそが設計者の職能といえる。

 

きれいな形に取り出すためのテクニックはもちろん重要であり、磨いていかないといけない。ただし読み取り方を間違えては意味がない。そこは経験を積み重ねて洗練させていくしかない。

 

 

抽象的な内容になってしまったが、今の自分の思いは大体こんな感じ。

俵屋宿泊

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連休を利用して、以前から計画していた京都旅行へ。一番の目的は、憧れの俵屋旅館に泊まること。

俵屋は創業1704年。日本で現存する最古の旅館。柊屋、炭屋とともに日本旅館の最高峰、御三家と言われる。

 

俵屋を一言で表すなら「心地よいおもてなし」。旅館として当たり前のことだと思うけれども、これ以外にシンプルに俵屋を表現する言葉が思いつかない。気持ちのいい出迎え、美味しい食事、きれいなお風呂、肌触りの良い寝具。(個人的には、キンキンに冷えたお冷が印象的だった。)基本的な部分がどれをとっても圧倒的に質が高い。奇抜なサービスは無い。おもてなしを極限まで洗練した姿というべきか。

 

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建物としても興味深かった。数寄屋の風格漂う造りで、スケッチをするのが楽しかった。TVが壁内に収納されるつくりになっていたり、照明スイッチが足元にあったり、非常口灯にすだれがかけてあったりと、細かい配慮が面白い。

それから、これは泊まったことがある人なら必ず共感してもらえると思うけれども、窓ガラスの透明度が異常に高い。多分宿泊客の半分くらいは窓があると気付かず頭をゴンとぶつけた経験があるのではないだろうか。(誇張ではなく。)

このガラスの磨きの徹底具合にも見られるように、俵屋内の清掃の行き届きは目を見張るものがある。そこに俵屋の方々の思いを感じ取ることが出来る。

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基本を徹底し、それを極限まで高める。おもてなしの神髄を見ることができたと思う。

 

 

 

夫婦だから汲み取らなくていい

妻のカウンセリングの付き添いでメンタルクリニックへ。

経過の報告と今後の妊活についての相談のため。

 

経過は良好だけれども、もう少し様子を見ながら前に進もうというのが今日の結論。

あせらないで良いとのこと。

 

先生との会話の中で印象に残ったのが、「夫婦だから汲み取らなくてもいい」という言葉。言いたいことは言ったほうがいいし、聞きたいことは聞いたほうがいい。

たしかに夫婦の形は簡単には壊れない。血のつながりがない特別な他人だからこそ、意識の上では血縁関係よりも強固に結びつく。

 

もちろん、夫婦だからこそ互いを思いやって気持ちを汲み取ろうとすることが大事、というのが一般的な意見に違いない。でも、汲み取らなくても夫婦だと思えることで、もっとリラックスした関係が築けるはず。

ありそうでなかった夫婦関係の解釈の仕方にはっとさせられた。

 

 

 

藤園散歩

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ゴールデンウィークの真っ只中、北九州の河内藤園へ。

毎年のあまりの来園客の多さから、昨年より前売りチケット制になった。その効果もあってか、予想よりは人が少なく、ほとんど並ぶこともなく見学できた。

 

チケットの価格はセブンイレブンで500円。さらに、開花状況によって最大1500円まで価格が上昇する。差額は当日園の入口で支払うという仕組み。今回の見学では、入口で1000円追加徴収された。見方を変えれば、最も花の見頃に入園できたということ。ここは幸運だったと思うことにしよう。

 

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園内では藤棚の予想以上の迫力に圧倒された。花の量もそうだが、何よりその香りがすごい。これが私営だというからさらに驚き。

 

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藤も良いが、新緑のもみじもまた良い。秋冬の紅葉が楽しみ。

11月にまた来よう。

 

 

リーフが描けた

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リーフが描けた。

美しい。

あれだけ色々と試行錯誤しても中々できなかったのに、ある日突然できた。

というか、だらだらしゃべりながら手元を動かしていたら、出来ていた。

コツは、あれだ。

一生懸命やりすぎず、適度に力が抜けていること。

つまり自然体で取り組むこと。

 

仕事にしてもスポーツにしてもコミュニケーションにしても、自然体でいることが大事とよく言われる。

言うのは簡単だけれども、それはとても難しい。

自然体の境地に至るには、意思を介さずとも自動的に体が動くほど、”型”が完成している必要がある。

つまり、自然体というのは、徹底した反復練習の先に見い出される極地といっていい。

よって初心者に自然体で行けなんていうアドバイスは的が外れている。力を抜きたくても抜きどころが分からないから初心者なのである。

 

リーフが出来たから、次はチューリップに挑戦。

これが出来れば、ラテアートのフリーポア基本3型ができたことになる。

技術が高まるのは楽しい。